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東京地方裁判所 昭和48年(ワ)2765号 判決

原告

浅草寺

右代表者

壬生台舜

右訴訟代理人

松島邦夫

外二名

被告

五十嵐重隆

外一〇名

右被告ら訴訟代理人

堀内節

外二名

主文

被告らは、それぞれ、原告に対し、別紙物件目録第一記載の各露店工作物を収去して、別紙物件目録第二の(一)記載の土地のうちの同第二の(二)記載の各土地部分を明渡し、かつ昭和四五年四月一日から右各明渡しずみに至るまで別紙損害金目録第二記載の各金員を支払え。

原告の被告らに対するその余の各請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は、被告らの平等負担とする。

本判決は、原告勝訴部分に限り、原告において被告らに対しそれぞれ金三〇万円の担保を供するときはその担保を供した各被告に関する部分につき仮に執行することができる。

事実

第一  当事者双方の求めた裁判

一、原告

「被告らは、それぞれ、原告に対し別紙物件目録第一記載の各露店工作物を収去して、別紙物件目録第二の(一)記載の土のうちの同第二の(二)記載の各土地部分を明渡し、かつ昭和四五年四月一日から右各明渡しずみに至るまで別紙損害金目録第一記載の各金員を支払え。訴訟費用は、原告らの負担とする。」

との判決並びに仮執行の宣言

二、被告ら

(一)「原告の被告らに対する本件各訴をいずれも却下する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決。

(二)  右が認められないときは、「原告の被告らに対する各請求をいずれも棄却する。訴訟費用は、原告の負担とする。」との判決。

第二  当事者双方の主張

一、原告の請求の原因

(一)  原告は、昭和四五年四月一日以前から別紙物件目録第二の(一)記載の土地(以下「本件土地」という。)を所有しているところ、被告らは、それぞれ、昭和四五年四月一日以前から、本件土地のうちの別紙物件目録第二の(二)記載の各土地部分上に別紙物件目録第一記載の各露店工作物を所有して右各土地部分を占有している。

(二)  被告らの右各土地部分の占有は何らの権原に基づかない不法占有であり、これに因り、昭和四五年四月一日以降別紙損害金目録第一記載の右各土地部分の賃料直当額の損害をこうむつている。

(三)  よつて、原告は、本件土地の所有権に基づき被告らに対しそれぞれ、別紙物件目録第一記載の各露店工作物を収去して、本件土地のうちの別紙物件目録第二の(二)記載の各土地部分を明渡し、かつ昭和四五年四月一日から右各明渡しずみに至るまで別紙損害金目録第一記載の各損害金を支払うことを求める。

二、被告らの答弁等

(一)  本案前の主張

原告の被告らに対する本訴各請求は、本件土地の所有権に基づく明渡し請求権であるところ、原告と被告らとの間には台東区簡易裁判所昭和三九年(イ)第八五号土地明渡等和解事件について昭和四〇年一月二八日即決和解が成立して、その和解調書には、「一、相手方ら(註本件被告ら)は各自の所有に係る別紙物件目録第一記載の露店工作物(註、本件別紙物件目録第一記載の各露店工作物)を占有使用して申立人(註、本件原告)の所有に係わる同目録第二記載の土地(註、本件別紙物件目録第二の(二)記載の各土地部分)を占有使用していること、ならびに右土地を占有使用するにつき申立人(註、本件原告)に対抗し得る何らの権原をも有しないことを認める。二、相手方ら(註、本件被告ら)は、申立人(註、本件原告)に対して昭和四〇年三月末日限り前項記載の露店工作物を収去して、前項記載の土地を明渡す。」等と記載されているので、原告は、本件訴の訴訟物と同一の訴訟物について既判力のある債務名義を既に得ているものである。そうすると、右は、原告が本訴の請求と同一の請求について既に勝訴判決を得ている場合と同じ場合にあたるから、原告は、本訴を提起する訴の利益を有しない。なお、被告らは原告を相手どり東京地方裁判所に、和解調書について、訴訟代理権の欠缺を理由に請求異議の訴を提起し(同庁昭和四八年(ワ)第三八六号請求異議事件)、目下右事件につき審理が進められているが、原告が右事件において被告らの右請求を認諾して右和解調書の無効を認めないかぎり、本訴について原告が訴の利益を有しない理には変りがない。よつて、原告の被告らに対する本件各訴は不適法であるから却下されるべきである。

(二)  本案に対する主張

1 請求の原因に対する認否

(1) 請求の原因(一)の事実は認める。

(2) 請求の原因(二)の事実は否認する。

(3) 請求の原因(三)は争う。

2 抗弁

(1) 被告らは、これまで被告らの露店商人を構成員とする浅草仲見せ商業協同組合に毎月定額の組合費を納入して来たところ、右組合の組合員であつた訴外井沢秀一は、昭和四七年から同四八年にかけての間、原告に対し、右納入された組合費の中から被告らの右組合員の本件土地使用の対価として謝礼等の名目で毎年応分の金員を届け入れ、原告もこれを右土地使用の対価の意味を感得して受領した。従つて、これにより、原告と被告らとの代理人の石井沢、又は被告らとの間に、原告が被告らに対しそれぞれ本件土地のうちの被告らの各占有土地部分を賃貸する旨の賃貸借契約が締結された。そうすると、これにより、被告らは、本件土地のうちの被告らの各占有土地部分につき賃借権を取得したので、右土地部分を占有する正権原を有するものである。

(2) 仮に右主張が認められないとしても、本件土地は大平洋戦争前から昭和二六年一〇日までの間東京都が管理していたところ、戦災によつて本件土地内にあつた、原告の本堂、仁王門などの建造物や施設は焼失して境内地は瓦礫の山と化し、終戦を迎えるや右境内地及びその周辺は所謂闇市となつて賑い、被告らは本件土地内に出店を設けて商売を続けることになつたが、東京都の所轄する自治体警察であつた浅草警察署の署長は、被告望月圭助の先代の望月時康に対し昭和二〇年一〇月一日頃又は遅くとも同二六年一〇月頃、被告皆川国常の先代の皆川常吉に対し昭和二〇年一一月一日頃又は遅くとも同二六年一〇月頃、被告望月政一に対し昭和二〇年一〇月一日頃又は遅くとも同二六年一〇月頃、被告皆川伊与子に対し昭和二〇年一一月一日頃又は遅くとも同二六年一〇月頃、その余の被告らに対し遅くとも同二六年一〇月頃、被告らがそれぞれ本件土地のうちの各占有土地部分に出店をなすことを許可した。その後、右望月時康は死亡してその相続人の被告望月圭助が右出店許可を受けた地位を承継し、更に右皆川常吉も死亡しその相続人の被告皆川国常が右出店許可を受けた地位を承継した。右出店許可は、土地管理者である東京都が被告らに右各占有土地部分の使用借権を付与する法律行為であるからこれにより被告らは右各占有土地部分を使用貸借する権利を取得した。ところで、右土地使用貸借の法律関係は私法上の原則によつて律せられるべきであるから、昭和二六年一〇月に本件土地の管理権が東京都から所有者の原告へ返還されたのちも右使用貸借上の貸主の地位はそのまま所有者の原告に承継されたものというべきであるので、被告らは原告に対し右各土地部分につき右使用借権を有するものである。そうすると、被告らはそれぞれ本件土地のうちの被告らの各占有土地部分を占有する正権原を有する。

(3) 仮に右(1)及び(2)の各主張が認められないとしても、原告が被告らに対し本件土地のうちの被告らの各占有土地部分の明渡しを求めることは権利の濫用であつて許されない。その理由は以下述べるとおりである。即ち、

イ 被告らは、大部分が戦争による離職者、海外からの引揚者であり、早い者は終戦直後から、遅い者でも昭和三〇年からいずれも本件土地内の仲見せ通りで露店を営業してきた者である。即ち、被告五十嵐重隆は昭和三〇年前主矢島四郎から露店を譲り受けてそれ以降今日に至るまで傘の販売を行なつてきた者、被告金谷友吉は、昭和二二年八月から婦人服の販売を行なつてきた者、被告望月圭助は、先代望月時康が昭和二〇年一〇月一日から婦人服の販売を行なつていたものを承継した者、被告川島武は昭和二二年五月から既製和服の販売を行つてきた者、被告望月政一は昭和二〇年一〇月から皮靴製品等の販売を行つてきた者、被告石渡繁雄は昭和二二年三月から既製服の販売を行つてきた者、被告皆川伊与子は、昭和二四年五月から既製和服の販売を行つてきた者、被告森田定夫は昭和二三年四月から洋服、洋品等の販売を行つてきた者、被告皆川国常は先代皆川常吉が昭和二一年一一月から洋品を販売してきたものを承継した者、被告矢下静枝は昭和二四年五月から洋品雑貨の販売を行つてきた者、被告川辺潔は昭和二五年から子供服の販売を行つてきた者である。かようにして、被告らは早い者で大平洋戦争の終戦直後の昭和二〇年ないし同二五年頃から、遅い者で昭和三〇年頃から今日まで二〇数年の極めて長期間にわたつて本件土地内にある原告寺の仲見世通りでその門前商人として婦人服、洋品、子供服等の販売を継続してきたものであるところ、原告は、これまでこれを容認してきたので、被告らは他の露店業者とともに戦後の混乱期を経ての原告の今日の繁栄に一定の寄与をし、その一端を担つてきたのである。原告寺の本堂と雷門との間の参詣道(仲見世通り)には、戦前より和装小物、玩具、舞扇、花かんざし、帯などの商品を陳列し、商いをしている露店が軒を並べていたが、右露店商の発生は遠く元禄、享保年間にさかのぼるといわれ、原告寺の境内の掃除を課せられていた近所の住人に対しその賦役の代償として仁王門の東前側にヨシズ張りの露店を出させたのがはじまりといわれている。その後右仲見世通りはにぎわいを見せながら江戸時代から現代へと続いたのである。他の寺院の露店が所謂縁日の祝際日に露店が現出するのと異なり、原告寺においては祝祭日に限らず毎日店を構える恒常的な露店が現出している。右のような他に余り例を見ない原告寺の露店の発生は前記のとおり歴史的沿革によるものではあるが、それにとどまらず、原告が参詣者を吸収する一つの方法として露店商の存在を積極的に容認したことが大きな原因となつている。本件土地のうちの雷門から仁王門までの二五〇メートルの仲見世通りの露店は原告寺の参詣者の目を楽しませる一方、また仲見世通りの露店の賑いが原告寺へ多くの人を運ばせる一因となってきたのである。原告寺が本堂に近い位置まで仲見世通りに露店の配置を認めた(一時は仁王門を越えた場所まで露店があつた。)のも参詣者を吸収する考えのあらわれである。かようにして、原告寺と被告らの仲見世露店商人とはいうなれば相互依存の関係にあつて、原告寺の隆盛の一端は右仲見世通りの露店に負うところが大である。それにとどまらず、被告らの右仲見世通りの露店商人は戦災後の焼跡を整理し、その後も境内の清掃、除草の奉仕をし、あるいは勺米講に加わつて原告寺に協力してきたのである。

ロ ところで、原告は、江戸時代に寺領三八万メートル(一一万五〇〇〇坪)、今は整理されたとはいえその所有土地面積は約一六万平方メートル(五万坪)もあり、その所有地の六区の興行街からの地代収入は莫大な金額に達するほかに準利益としてのお賽銭による収入もかなりの金額におぼるものである。このように原告は、広大な所有地を保有し、豊富な経営力を有するものであるから、本件土地内の仲見世通りの僅少の土地を被告らの露店商人に引続き使用させることにつき何らの痛痒を感じていないし、また被告らに右土地を使用させることにつき前記の利益を得こそすれ、何らの損失も受けていないので、原告が被告らに対し本件各占有土地部分の明渡しを求める必要性は毫も存在しないのである。原告は被告らに対する土地明渡しを求める理由として「境内整備計画の一環としての露店の整理」という何ら具体性のない抽象的な目的を掲げているが、このことからも、原告が被告らに対し右土地明渡しを求める必要性に乏しいことは明らかである。これに対し、被告らは前記のとおり本件露店において終戦直後頃から営業をしておつてその収入が唯一の生活源であつて、これにより毎日の生計を維持しているから、被告らが本件各占有土地を明渡すことはその生活基盤が一拠に崩壊されることになる。原告は、前記井沢秀一の遺族及び前記組合の幹部と称する極く一部の者に対しては何らかの明渡しについての対価ないし補償をなす計画である一方、被告らに対しては一片の通告によつて営業の代替地の提供ないし何らの補償もなしに本件各露店を収去して本件各占有土地部分を明渡せというものであるから、これは、被告らに「死ね」というも決して過言ではなく、右明渡しによつて被告らの被むる損害は、被告らの右営業継続によつて原告の被むる不利益に比較するまでもなく甚大であることは明白である。

八、原告は、東京都内、いな全国でも著名な寺院であり、単なる営利活動を主たる目的とする株式会社などとは異なり、その活動は貧者、弱者に救済の手を差し出す宗教法人であるから、その公共的、社会的責務が他の団体に比べて大きいというべきであり、従つて、その権利の行使は一般の権利者に比し公共的、社会的責務の面から一層濫用にあたらないよう配慮を要するものである。従つて、仮に原告において被告らに対し本件各露店工作物の収去、本件各占有土地の明渡しを求める理由ないし必要があるとしても、その権利の行使にあたつては、明渡しの対象者のための代替土地の提供(原告は前記のとおり広大な土地を保有しているので、それは可能である。)等をなして明渡後の配慮を尽すべきである。しかるに、原告は、これまで被告らに対し右配慮を何らなさず、自己の主張を強行しようとしているものであるから、原告のかかる権利の強行は許されるべきではない。

二、以上の諸点を総合すれば、原告が被告らに対し本件各占有土地部分の明渡しを求めることは、極めて一方的恣意的なものであつて、従来の信頼関係にも背き著しい権利の濫用であるというべきである。

〈以下略〉

理由

第一被告らの本案前の主張に対する判断

一原告と被告らとの間の台東簡易裁判所昭和三九年(イ)第八五号土地明渡等和解事件について昭和四〇年一月二八日起訴前の和解(即決和解)が成立して被告ら主張の内容の和解調書が作成され、これにより、原告が被告らに対し本件土地の所有権に基づき被告らの各占有土地部分(その範囲は、本訴において原告が被告らに各明渡しを求めている範囲と同じ)の明渡しを求め得る債務名義を取得したことは当事者間に争いがない。しかしながら、被告らは、昭和四八年原告を相手どり東京地方裁判所に右和解調書につき請求異議の訴を提起(同庁昭和四八年(ワ)第三八六号請求異議事件)していることは当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、被告らは、右訴の提起とともに右和解調書につき右裁判所から強制執行停止決定を得ていることが認められる。そうすると、右和解がその内容の権利関係につき既判力を有するか否かはさておき、原告は、被告らに対し右和解調書の債務名義に基づき即時本件土地のうちの被告ら各占有土地部分の明渡しの強制執行をなし得ない事態にあるから、新ためて、被告らに対し、直ちに本件土地のうちの被告ら各占有土地部分の明渡しを求め得る債務名義を取得するために被告らを相手どり右請求につき本件訴訟を提起する訴の利益を有するものといわなければならない。なお、原告は、本件訴訟において被告らに対し右各土地明渡しの請求に附帯して各土地不法占有による賃料相当額損害金の支払いを請求しているが、右附帯請求についてはこれまで判決ないし債務名義を得ていないから、右請求部分につき原告が被告らに対し本件訴訟を提起する訴の利益を有することは云うまでもない。

二そうだとすれば、被告らの本案前の主張は採るを得ない。

第二本案に対する判断

一請求の原因(一)の事実は当事者間に争いがない。

二そこで、被告ら主張の抗弁について検討する。

(一)  抗弁(1)(被告らが本件土地のうちの各占有土地部分につき賃借権を有する旨の主張)について

成立に争いがない甲第二五号証の二によれば、昭和二七年頃原告寺の門前にある仲見せ通りの露店商人の一部の者が原告との土地明渡等の紛争の交渉等をなす便宜のために任意団体である浅草仲見せ商業協同組合(組合長沢井秀一)を結成して、その後被告らも右組合に加入し、その組合費を右組合長の井沢秀一に定期に納入していたことが認められるところ、成立に争いがない甲第二五号証の三(被告望月政一の供述調書)には、「右井沢は右組合員から納入された組合費の中から原告に対し名目はどうあろうとも地代相当額のようなものはつけ届をしていたものと承知していた。」旨の右被告の供述部分があり、乙第七号証の一ないし五、第八号証(右井沢作成のものと思われる右組合の昭和四三ないし同四七年度決算報告書)には原告への接待費(お中元・お歳暮その他)としていくばくかの金員(毎年その支出金額が相当相異している。)の支出があつた旨の記載がある。しかしながら、被告望月政一の右供述記載部分(甲第二五号証の三)は同書証の右被告の供述記載からして具体的な裏付資料に基づくものではなくて多分に右被告の想像によるものであることが窺われること、右乙第七号証の一ないし五、第八号証は、これが真正に成立したことを認めるに足りる証拠はなく、仮に右各書証が真正に成立(右井沢が作成)したものであるとしても、右各決算報告書記載の原告への支出金額は右のとおり毎年相当相異していて、その名目も右のとおりであつて、本件土地の地代ないしその使用の対価の趣旨の記載はないばかりか、その裏付資料は何ら存在せず、また前示甲第二五号証の三によれば、右浅草商業協同組合の組合員からその組合長の井沢秀一に納入された組合費の使途や処分は、右井沢に一任されていて右井沢からその組合員に対しその会計報告は全くなかつたことが認められるので、果して、右井沢が原告に対し右決算報告書(乙第七号証の一ないし五、第八号証)記載のような支出金をなしたか、また右支出金が被告らの本件土地使用の対価の趣旨の金として授受されたか、極めて疑問であること、〈証拠〉によれば、原告は、昭和二七年頃から原告寺の境内地を占拠している被告らの露店商人を相手どりその各占有土地部分の明渡しを求める調停ないし和解の申立をくり返し、右露店商人らとの間で、台東簡易裁判所において、昭和三四年二月二六日調停(昭和二七年(ノ)第一〇六号事件)が、同三七年三月一九日起訴前の和解(昭和三七年(イ)第二五号事件)が、同四〇年一月二八日起訴前の和解(昭和三九年(イ)第八五号事件)がそれぞれ成立して、右各事件に参加した露店商人らは、右調停等において、その各占有土地の占有権限を有しないことを認めて、原告に対し一定期限内に右各占有土地を明渡なすことを約したこと、そこで、昭和四〇年一月二八日原告は前記井沢秀一との間で、右井沢が、被告らの露店商人が右最後の和解事件(昭和三九年(イ)第八五号事件)の和解調書記載の原告に対する各土地の明渡義務を完全に履行するよう極力努力する旨の協定を結び、その後昭和四七年一〇月頃原告から被告らに対し右和解調書において約定された土地の明渡しを実行するよう通告があつたことがそれぞれ認められるので、右認定の経過に照すと、原告が前記井沢ないし被告らから被告らの本件土地使用の対価としての名目ないし趣旨の金員を受領することはむしろあり得ないものと考えられること等を考え合すと、被告望月政一の前記供述記載部分(甲第二五号証の三)は措置できず、前記乙第七号証の一ないし五、第八号証をもつて前記井沢ないし被告らが原告に対し被告らの本件土地使用の対価の金員を支払つたことを証す証拠となし得ない。他に、被告らが抗弁(1)において主張のとおり井沢秀一ないし被告らが原告に対し被告らの本件土地使用の対価としての金員を支払つて、原告と被告らの代理人井沢秀一又は被告らとの間でそれぞれ本件土地のうちの被告ら各占有土地部分につき賃貸借契約を締結したことを認めるに足りる証拠はない。

そうだとすれば、被告らの抗弁(1)の主張は採るを得ない。

(二)  抗弁(2)(被告らが本件土地管理人の東京都から本件土地の使用借権を取得した旨の主張)について

〈証拠〉によれば、本件土地を含む原告寺の境内地については東京都が太平洋戦争の終結前から浅草公園を設置して昭和二六年一〇月一三日までこれを管理(但し、それまで一部何回かにわたつて右公園設置が解除され、右同日全面的に右解除がなされた。)していたこと、被告望月圭助の先代の望月時康は昭和二〇年一〇月頃から、被告皆川国常の先代の皆川常吉は昭和二〇年一一月頃から、被告望月政一は昭和二〇年一〇月頃から、被告皆川伊与子は昭和二〇年一一月頃から、それぞれ、原告寺の境内地である本件土地内の仲見せ通りの一区画で露店商を始めてじ来これを継続していたところ、いずれも昭和二六年八月一〇日頃までの間に右当時東京都の一機関(いわゆる自治体警察)であつた浅草警察署長から露店出店許可証(右店舗毎に付した番号によりその場所を特定)の交付を受けてその出店の許可を得たこと、その後、右望月時康は死亡したので、その相続人(子)の被告望月圭助が右時康の露店の経営を引継いでこれを行い、また右皆川常吉は昭和三九年六月に死亡してその相続人(子)の被告皆川国常が右常吉の露店の経営を引継いで行つていることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。その余の被告らは、自分らも、それぞれ遅くとも昭和二六年一〇月頃まで浅草警察署長から露店の出店許可を受けた旨主張するが、本件全証拠によるもこれは認められない。ところで、被告らは、被告らが右警察署長から右出店許可を受けたことにより、それぞれ本件土地の管理権限を有する東京都から本件土地のうちの現在における被告ら各占有土地部分につきこれを使用できる使用借権を取得したものである旨主張するので考えてみる。まず、仮に浅草警察署長のなした右出店許可が、右許可を受けた被告ら(被告望月圭助及び同皆川国常についてはいずれもその先代)に対し本件土地のうちのその各占有土地部分を使用できる権利を付与した法律行為であると解釈できるとしても、右浅草警察署長に右土地使用権利を付与できる権限があつたことを認めるに足りる証拠はない(右警察署長に右のような権限があつたことを裏付ける法令又は東京都の条例若しくは規則は見出し得ない。)ので、右警察署長の右出店許可による右被告らがその主張の本件土地の使用借権を有効に取得したとは認め難いこと、次に、前示甲第二五号証の一によれば、昭和三七年頃原告が宝蔵門を建築した際、それまで仲見せ通りを占有していた露店商人は他の場所へ移動して、その後二年ぐらい経過して右宝蔵門が完成後、前の仲見せ通りに再び移動してきてそのまま現在に至つていることが認められるが、右再移動の場所が前の出店場所と正確に合致することを認めるに足りる証拠はない(むしろ、右書証によれば、合致しない者が多いと推認できる。)ので、仮に浅草警察署長のなした前記出店許可が前記出店許可を受けた被告らに対し本件土地の使用借権を与えたものと解釈できるとしても前認定の許可の実状からすれば、右許可は右当時右被告らが占有している土地部分に限られるものと認められるから、右出店許可により、その許可のあつた場所と異なる右再移動後の各占有土地部分(それが現在の各占有土地部分)についても右被告らが使用借権を有するとは云えないこと、更に、〈証拠〉によれば、浅草警察署長のなした前記出店許可の事務手続は右当時同署内の交通課において処理していたこと、右警察署長が右出店許可をなした際交付した許可証には、出店期間が明示され、出店中は常に許可証を店頭の見易き場所に掲示しておくこと、出店は許可を受けた本人に限ることとし、他人に名義を使用させないこと、出店は日出より日没までとし閉店後は店舗屋台等続置しないこと、出店については名義は何れであつても権利の発生については一切認めないこと、交通上特に支障があるとき等の場合は出店の停止若しくは取消の処分を受ける場合があること等の条件が記載されていて、右警察署長において、これらの条件等を付して前記出店許可がなされていたことが認められるので、右許可条件等から考察すれば、浅草警察署長のなした前記被告らに対する露店出店許可なるものは、右警察署長の権限に属する交通取締や犯罪予防の目的から多数の露店が横行するのを防いでこれを秩序づけるためになした右目的のための規則措置にすぎなく、これにより前記被告らに対し本件土地につきその使用借権を与えた行為ではないものと判断できること等を考え合すと、浅草警署長の前記被告らに対しなした露店出店許可により前記被告らが本件土地のうちの現在の各占有土地部分につき被告ら主張の使用借権を取得したとは到底認め難い。他に被告らがその主張のとおり管理者の東京都から本件土地のうちの被告ら各占有土地部分につき使用借権を与えられたことを認めるに足りる証拠はないので、じ余の点につき判断するまでもなく、被告らの抗弁(2)の主張は採るを得ない。

(三)  抗弁(3)(権利の濫用の主張)について

1 〈証拠〉によれば、原告の境内地である本件土地内には、寺院の門前に太平洋戦争前から多数の露店商人が店を開いて原告寺へ参詣する者等の便宜に供されていたが、戦災によつて原告の寺院が焼失して境内地の管理が手薄になつた上に終戦直後の世相の混乱が重なつたところ、これに乗じて、それまでの露店商人とほとんど関連のない新参者が原告の境内地の本件土地内に原告や当時本件土地を浅草公園として管理していた東京都に無断で露店を開いて右土地を不法占有するようになり、右露店は、当初は昼間開いた店をたたんでこれを引払う状態であつたが、昭和二七、二八年頃から現在のように小屋がけの施設を設けて一定の場所に固定し、原告寺の門前である仲見せ通り等に群落を形成するようになり、右露店商人の間では原告に無断で店の経営権を売買して、経営者の交替が行われてきたこと、被告らも右露店商人の一人であつて、それぞれ抗弁(3)のイ記載の時期に本件土地内の仲見せ通りに露店を開いて、じ来、その部分を不法占有し、右露店経営による収入でその生計を維持していること、被告らの右露店商人は、終戦当時焼失した原告寺院の焼跡の瓦礫を自発的に片づけ、その後原告寺の境内地を清掃し、当初原告寺主催の勺米講に参加し、原告寺へ奉納ないし寄付をするなどしてつくし、一方、右群落をなして賑わつている露店は、原告の寺院へ参詣する一般大衆の行楽の場所になつていること、しかし、原告は、これまで、境内地を右露店商人に無断で不法占有されていることに極めて不満で、前記(一)において判示のとおり本件土地につき東京都から公園設置解除がなされて昭和二六年一〇月一三日その管理権が原告に返還されるや、早くも昭和二七年頃から被告らの右露店商人に対してその不法占有土地の明渡を求めて調停や和解の申立をくり返して右露店商人の土地使用の権利を一切認めず、右露店商人が早期に右不法占有土地の明渡しの実行をなすことを強く希求してきたので、右露店が前記のとおり原告寺の境内地の門前に形成されたことは原告の容認するところではないこと、なお、原告は、被告らの右露店商人に対する右土地明渡しの交渉においては代替土地の提供や立退料の支払い等の提案は全くしていないこと、原告が被告らの露店商人に対し本件土地の明渡しを求める理由は、終戦直後の混乱等に乗じて被告らの露店商人によつて不法占有された原告境内地から右不法占有者を一掃してこれを正常な状態にもどしたのちその境内地の環境整備をなしたいためであること、これまで原告の右希望に従つて、本件土地内に不法占有していた露店商人の大半の者はその店舗を収去して各自の選んだ他所へ移転していつたが、被告らは一日でも長く本件土地を不法占有して露店を続けることを願つて、頑強に、種々の延命策を講じて留まつているものであること、なお、原告は、現在、約五万坪(一六万平方メートル)の土地を所有して、その所有地の六区の興行街から年間六二〇〇万円の地代を取得し、他に年間六〇〇〇万円の賽銭による収入があることがそれぞれ認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

2 右認定事実によれば、被告らが経営してきた仲見せ通りの露店はこれまで原告寺への参拝者に利用されてその行楽の場所になつているばかりか、被告らの露店商人はこれまで原告に対し種々の奉仕をしてきたので、被告らの露店商人が原告寺の今日における繁栄に対し何程かの寄与をなしていることは否定しがたいところであるが、被告らは、終戦後から今日まで約三〇年間もの長年月に亘つて、原告所有土地を不法占有して露店を経営してその収入を得ているものであるから、原告は、結果的に、被告らの右寄与に対してすでに十分すぎる程の償いをしているものというべきであること、被告らは、現在本件土地内に固定した店舗を構えてこれによる収入でその生計を維持しているものであるため、被告らに本件土地を明渡さすことはその生活の基盤を覆すことにはなるが、被告らがかかる固定した店舗を構えるようになつたのは原告の容認するものではなく、これまで度々原告から土地明渡しの要求があり、すでに他の露店商人は大半立退いているので、被告らとしても早晩本件土地を立退くべきであることは当然覚悟をきめてこれまでにその用意を怠るべきでなかつたものであるところ、種々の延命策を講じてすでに終戦後三〇年もの長きにわたつて不法占有を続けているものであるから、被告らのかかる行動は正に異状というより他なく、ここに至つて原告にその窮状を訴えることは、全く厚かましいというべきであること(要するに、被告らは、早くから土地明渡しの要求をくり返している原告の意思を無視して強引に三〇年間もの長年月に亘つて不法占有を続けてきたので、被告らがこれ以上原告所有土地の不法占有を続けることは原告に対し全く酷であり、いかなる理由があるにせよそれは許されないものというべきである。)、原告が被告らに対し本件土地の明渡しを求める理由は前記認定のとおりであつて、要するに、終戦直後の世相の混乱に乗じて自己所有の境内地が無断で被告らに不法占有された状態を早期に解消して正常な状態に戻して境内地の環境整備をなすことを目的とするものであつて、これは土地所有者として至極当然の要求であり、前記のとおり被告らの強引な土地不法占有継続の延命策に乗ぜられて、三〇年間もの長年月に亘つて右要求を実現できなかつた原告が今日ようやくそれを実際しようとすることについては良識ある者なら何人も反対ないし異論をとなえる余地は全くないものと考えられること、成程、原告は、前記認定のとおり、相当広大な土地を所有し、毎年相当高額な収入を得ているにもかかわらず、被告らの露店商人に対し終始、単に自己所有地の明渡しを求めるのみで代替地の提供や立退料支払の提案をした形跡はないが、被告らは原告に無断で原告占有地を不法占拠してこれを長きに亘つて継続しているものにすぎず、これについて原告に責められるべき点は見出し得ないので、もともと原告に対し代替地や立退料の要求ができる道理はないばかりか、すでに長年月日に亘つて原告所有土地の不法占拠を続けてこれにより露店を経営して相当の収入を得ているのでこれにより実質的に右立退料に見合う程の利益を得ているものと推認できるから、今更右立退料等を云々する筋合でもないこと、その他前記認定の諸般の事情を総合勘案しても、原告の被告らに対する本件土地の被告ら各占有土地部分の明渡し請求が権利の濫用にあたるとは到底認め難い。

3 してみれば、被告らの抗弁(3)の主張は採るを得ない。

三以上判断したところによれば、被告らが本件土地のうちの被告ら各占有土地部分を占有できる正権限を有していることは認められないので、被告らは、それぞれ、本件土地の所有者である原告に対し、別紙物件目録第一記載の各露店工作物を収去して、本件土地のうちの被告ら各占有土地部分(その位置、範囲は別紙物件目録第二の(二)記載のとおり)を明渡す義務がある。そして、更に、被告らは、昭和四五年四月一日以降今日まで本件土地のうちの被告らの右各土地部分を占有できる正権原を有しないので、被告らの右各占有は何らの権限にも基づかない不法占有であるばかりか、前記二の(三)の1に認定の事実によれば、原告は、被告らから右各占有土地部分を明渡してもらつたならばこれを他に賃貸等して右土地から賃料相当額の収益を得ることができるものと推認できるので、原告は、被告らの右各占有土地部分の不法占有に因り昭和四五年四月一日以降右各占有土地部分の賃料相当額の損害を被つたものというべきである。そうだとすれば、被告らは、それぞれ原告に対しその各占有土地部分にかかる各賃料相当額の損害を賠償すべき義務がある。そこで、右損害額について検討するに、〈証拠〉によれば、右損害額はそれぞれ一箇月当り別紙損害金目録第二記載のとおりである(原告は、本件土地につき税金を免除されているので、本件土地にかかる固定資産税金及び都市計画税金は右損害額の算定から除外すべきである。)ことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。してみれば、被告らは、それぞれ原告に対し、昭和四五年四月一日から本件土地のうちの前記被告ら各占有部分を明渡しずみに至るまで一箇月別紙損害金目録第二記載の各金員の割合による各損害金を支払う義務があるものといわなければならない。

四よつて、原告の被告らに対する本訴各請求は、右三に認定の各露店工作物の収去及び各土地明渡しと右各損害金の支払いとを求める限度において理由があるから、この部分を認容して、その余を失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条一項本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。 (山崎末記)

損害金目録、物件目録〈略〉

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